旅と読書

本が好きです。でも日々の生活の中、なかなか読む時間がない。いや、ないのではない。優先順位でどうしてもやりたいことリスト上位に入れず、いつもギリギリ圏外。それが私にとっての読書なのです。旅もそう。まとまった時間があれば行けるのに、娘たちがわらわら笑笑童童いる中で、いつ、どう行くのか、旅なんて行こうとすら思っていないのが現実でした。

それが、たまには行けるもんだ。

本当の本当なら、私はしんしんと雪降る日本海側で、一人しっぽりと、温泉旅を楽しむ予定であったのです。それが見事に状況が転がり、回り、うねり砕かれ、散り散りになりながら日本の首都、東京へと降り立つことになったのです。が、それもいいものでした。行く先は変わろうとも旅で読書はできたのですから。(このお店ではしておりませんが)

また今回の、ままよと行くことになった東京旅で、私の大事なたった一人の妹にも久しぶりに会え、ゆっくり話ができたのもよかったです。齢四〇になろうと幾つになろうと、私たちは日々思い惑い、人生いろいろあるよなあ。彼女の身の上話を聞くにつれ、そう思わずにはいられないのでした。幼稚園や小学生の頃から本質的なことはきっと何も変わらない私たち。いやあの頃より私たちは、ほんの少し経験しただけで何かを知ってるつもりなだけ。それも余計な知識や情報、知らずに済んだかもしれない感情にまみれているだけ。あの頃より無力で非力なのかもしれない、と。

幼少の頃の瞳は柔らかで光に溢れている。大人になるとそれはたちまち固くなり色を失う、、、たしか泉鏡花がそんなことを言っていたっけ。

妹を待つ駅前の小さな書店で美しい哲学者、池田晶子氏に出会うこともできました。書店員おすすめの本の中にあったのでした。彼女も来て、妹の話を聞いていたに違いない。伊藤しろみさんも。うんうんと聴きながら、そう、ああね、と言っていたに違いない。あの苦、この苦がどうかなくなりますように。皆んなのこころのトゲが、どうか取れて往きますように。何年か前に読んだ「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」を、ふと思い出したのです。あすこに行こう。妹を誘いましたが断られました。だから私一人、詣りました。かの赤提灯のお店のお客さんに、アジフライと塩饅頭をお食べ、と教えていただいたのでそうしました。あまり口にしない揚げ物に胃もたれしながら、お地蔵さん鳥居横の屋台の七味が抜群に効きました。ひょうたんの入れ物も可愛く今は我が家にて鎮座しております。ああ、全てはうまくできている。どうやら私の旅は本に導かれているようです。どのようにも進んでおゆき、妹よ。幸あれ。

「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」 伊藤比呂美 講談社 帯より

この記事を書いた人