こんにちは、フジノユカリです。

最近読んだ本の紹介をします。

 今年の四月に発刊された『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません』(新潮社)。もうお読みになった方もいる方もいるでしょうか。

この本を書いたのは坂口恭平さん。建築家で作家、音楽家、画家、東日本大震災後には独立国家を作り内閣総理大臣に就任という多彩な顔を持ち、、、とここまで読んで「あ、この感じ、躁のお方かな?」とピンとくる人がいるかもしれません。家族に躁鬱人がいらっしゃるか、「自分に似てる」と感じている躁鬱人の方。私はピンときました。

 躁鬱人。

 そもそも躁鬱病とは病というよりも、一種の「体質」だと、坂口さんがこの大学をつくるきっかけになった『神田橋語録』

http://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf

 というPDFファイルに書いてあって、坂口さんは躁鬱の性質を持った人を「躁鬱人」と表現しています。

 これって結構、希望なんです。

 「一生薬を飲み続けないといけない」とか「治らない」と言われることが多い精神の病は、それだけで本人や家族の負担感が大きいんですね。負債を抱え込んだような。でも、病気というよりもともとの性質で、性格じゃなくて特徴だと言ってくれることで、「がんばって変わろうとしなくて(良くなろうとしなくて)いいんだ」とホッとするのです。こころが緩んで気が楽になる。しかも、この気楽さが状態をいい方向にもっていく、というおまけ付きです。

躁鬱人はいろんなことに気が付くし、頭の回転も早くアイデアも豊富、褒められると嬉しいから周りの期待に応えようと昼も夜も脳みそフル稼働で寝ない(アドレナリンが出まくって眠れない)で仕事する躁状態が続くと、結果的に身体が強制ストップをかけて鬱状態になる。すべてを投げ出して布団から出たくない、消えたいと思う。もちろん躁のあいだに人に会いまくってしゃべりまくって、お金を浪費したりして迷惑をかけているから、ますます消えたくなるのです。

躁鬱人の行動を『神田橋語録』を道しるべに坂口さんと紐解いていくと、あら不思議。世の中でまかり通っている「反省して人生を見直す」、「ひとつに絞ってその道を極める」、「努力して辛くても諦めない」ことが躁鬱人にとっていかに無益、無意味であるかがよーくわかって、胸のつかえが下りるのです。過去に縛られず今やりたいことをやる、我慢は大敵。いい感じです。

 ところで、『躁鬱大学』という大学がある前提で、神田橋語録をテキストに坂口さんの講義という体で本は進んでいくのですが、実際はそういう大学は存在しません。躁のような状態の坂口さんは、大学を作ることを思いつき、信頼している友人にアイデアを話し、具体的に大学の立地や、どんな講義をするかを企画書にして説明するそうです。本がうまれる瞬間です。素晴らしいですね。思いつきを実行に移して土地を買っちゃったり、校舎を自ら設計したり、あらゆる交渉をしたり、講師を集めたりしてたらしだいにしんどくなって、鬱になり、すべてを投げ出してしまうのは目に見えています。周りに理解者がいれば、破滅せずに素晴らしい本ができます。

 躁鬱人は、自分に興味を持って接してくれる非躁鬱人の存在に救われます。非躁鬱人もまた、大切な人を理解するのに非常に役に立つので、無駄に振り回されなくなります。

人は完全にはわかりあえないけれど、「そういうものなのかもなあ」と思うだけで、世界はすこし軽くなるような気がします。