「麦ふみクーツェ」読了。

いしいしんじ著「麦ふみクーツェ」を読み終えました。インドから別の国に電車で行く長い長い旅のお供に、友人が手にしていた本です。表紙はどこかに行ってしまい、手触りはボロボロ、マスキングテープで修理されてなんとか本の形を保っている、その姿もたまらなく愛おしい一冊です。

 いしいさんの物語のキーワードは、不思議と私が深く理解できるものに満ち満ちていて、いつも没頭してしまうのです。この本もそうでした。私が今まで他の誰にも打ち明けたことのない、身体の内側に響く”音”の存在が描かれていたのです。

どん、どん、どん

どどん、どん、どん、どん

いつからか、私の身体の中に音を感じるようになりました。それにいちばん近い音が、体育館でつくバスケットボールの音。低くて、一定かと思うと不規則にずれて、また重なっていく音。それは私がピンチの時に必ず聞こえてくるのです。身体の内側から…今ならこう言えます。あれは肚の中から聞こえていました。それを聴くと、私はピンチのソワソワが単なる装いのようになっていくのがわかります。

どん、どん、どん

どどん、どん、どん、どん

だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。

その音はそう教えてくれます。

そうしてピンチは本当に大丈夫になっていくのです。なんだかよくわからないけれど、こういうことが何度かありました。私が低い音の出る楽器が好きなのも、この音がベースになっているんだと思います。それでも最近は、この”内側の音”を忘れていました。だから本を読んでびっくりしました。主人公”ねこ”が聞いている音に。ああ、この人にも音が聴こえるんだ、て。

 淡々とした音と共に紡がれる物語ははじめ、短編小説なのかと思いました。でもそれは違って時系列を自在に行き来しながら物語がつながっていきます。気づいた時にはあっという間に話の渦に巻き込まれていました。

そこは。

その街は。

私の住む街と全然違うようでいて、懐かしい匂いがしました。住んでいる人々は、なぜだか古くからの知り合いのようでした。街にいろんなことが起こり、さまざまな人生が交錯し、色とりどりに散っていきました。

その美しさ!おぞましさ!もの悲しさたるや!

この世界に音があってよかった。

リズムがあって本当によかった。そう思い、何度も、何度も、涙しました。 

とん、たたん、とん

とん、たたん、とん

読み終えて真似してみました。麦ふみするクーツェの真似を。横に少しづつずれながら大地を踏みしめる動作はダンスそのもの、その踏みしめる音は音楽へと繋がっていく。

生きること、

生きて死ぬことに、

いいもわるいもない。

アートそのものなんだ。

そうクーツェは教えてくれます。

言葉ではなく、その姿かたち、リズムを通して。私はそれをちゃんと観る人、伝える人になりたいと思いました。残りの人生をかけて。   二〇二一年八月九日 記 増田 さやか